社会人編(仕事内容、キャリアなど)

今まで書いたテーマは大学時代メインだったり、自分の気持ちの変化だったりなど書いていたけど、

今回は仕事のことで書いてみようと思いました。

 

今は社会人3年目で仕事はSEのシステム開発。

大学時代に仲良くなった友達の紹介でIT企業に2024年入社。

SESに入った理由は、友達がその会社に入っていて、安心感があったから。

自分は社会人で人と働くことに対してかなり不安が強くあった。組織に縛られたり、人に縛られたりでストレスを溜めることに不安を抱いていた。

SES企業は、人間関係で不安を抱いている人や、新しい現場(常駐先で)案件をやりたい人とかに合っていると思う。仮に仕事ができなかったり、人間関係に恵まれなくても期間を乗り越えればなんとかなると考えていた。

あとはSESで色々な会社に入って自分の目で見てみようと思った。

ITスキルとか磨けば、いくらでも市場価値は高まると思うし、割と人に左右されにくいのではないかと考えていた。自分の性格とか適正でかなり合ってるなと感じている。

IT企業は穏やかな人が多く、実際にSES企業の同期とは今でも時々飲み会とかで会って話している(自分はお酒は飲めないのでお酒は頼んでませんが)

 

今はSESで常駐先は3社目となっている。

3社の会社に携わって良かったことは、会社によって業務内容や雰囲気が異なるということだった。

1つの会社に居続けるのもいいけど、自分としては1つの会社に絞ることは逆にリスクかなと感じていた。(人によると思いますが)

会社はこういう雰囲気なんだというのを一歩引いた上でフラットに見てよかったと思う。飽き性で物事が続きにくい人にもおすすめかなと思う。

 

あとは仮にその現場で人間関係がうまくいかなくても、次の現場があるということも精神的にゆとりを感じた。会社の人間関係は精神的ストレスが大きいというのを聞いたり感じたりするので、そのリスクを減らせるのはいいのかなと思った。

プレッシャーにあんまり強くない人もオススメかも?

 

逆に良くない点というと、スキルがつきにくいことだ。正直、自社開発と比べると、その現場で携われる期間は短すぎる。1からセットアップしたり、その現場の案件やアプリとかを設計書とかで覚えたりするのに時間がかかってしまう。

なので、大きい案件とか携わる機会がどうしても減ってしまうので、自社開発の社員との経験の差がつかれるのが大きいデメリットだと思う。

広く浅く色々やりたいのならいいけど、将来的に考えると、、、(あとは年収…)

 

業務内容なんだけど、1社目から3社目まで異なっているので順番に書こうかなと思う。

 

1社目 勤怠のアプリ開発 メガベンチャー寄り 六本木一丁目

 

社会人になって1社目の現場だ。新しい会社で全員男性のチームだった。みんないい人で他のチームと比べて穏やかな人が多かった。

平均年齢はかなり若く、チームリーダーは30過ぎの人がやっていた。フレックス制(10時半に勤務開始の社員もいる)、テレワークで割と令和の働き方で新しい会社だなと思った。

 

いい会社だなと思って会社のHPを見たけど、募集で固定残業45時間込みというのを見たり、みんなが割と遅い時間まで働いてるのを見て気になっていた。

あとは実力主義なところもあり、スキルがある人はどんどん出世するなと感じた。

 

使う言語はJava、SQL、Java Scriptを使用しており、ひたすらJavaの修正などやったり、単体テストを取り組んでた。SQLのインジェクションに関する案件を取り組んでいた。

 

正直、何もPCのことでわかってなくて、叱られることもあった笑

Javaの修正に時間がかかったり、指示内容で何を言ってるかわからなくて叱られたり、、、

IT用語も知らないワードが沢山出てきて、上長から「基本的な所から勉強する必要があるよ」という言葉をいただいた。

半年間ずっと修正→単体テストで一通り案件をやったこともあり、Java、SQLのこともわかるようになってきた。

業務内容は下流工程で、スキルはここの現場が1番身についた。半年間勤めて別の現場に行ったけど、本当に最初の現場がここで良かったと今でも思う。

 

2社目 生命保険のアプリ開発 中堅企業 川崎

 

2社目は生命保険の昔ながらの会社で週5で出社をした。

年代は新卒3年目までの社員と、30代、40代、50代がいて、派遣社員もそれなりにいた。賑やかな人が多い印象で、40前でPM(プロジェクトマネージャー)をやっていた社員もいた。

定時は5時半なのは良かったけど、やや派遣社員が多かったのと、残業時間をする社員、しない社員に偏りがかなり大きく感じた。(残業多い人は60〜80時間の人も)

 

使う言語はvb.net、SQLがメインだった。ここの現場でもvb.netで修正→単体テストをするということをやって、一通り下流工程の流れを色々な案件を通して身につけられた。

デバッグで動作確認したり、vb.netのことを知れたりで、プログラミングがよりわかるようになったかなと思う。正直、vb.netよりもJavaの方が全然難しかった。

外部設計書を見ながら修正できるようになったり、前回の現場よりも案件の取り組むスピードがスムーズになったのはよかったかなと思う。

残業時間は40時間を初めて超えて、疲れが中々取れずに大変だったけど、スキルがついたり、月収の手取りがかなり上がったので結果オーライかなと笑

 

途中はインフラチームで人手が不足してるから手伝いをしに業務端末の環境構築などを行なった。

環境構築、端末の検証などをメインとして取り組んでいた。ただ、案件内容は割とやりやすいものだった。残業時間は40時間超えたり、インフラは割と肉体労働が必要なのかなと感じたけど、幅広く学べたことには感謝だなと感じる。

その後に結合テストの案件の実施を頼まれた。テストをやる量が多く、残業時間は変わらず45時間近くあったり、自分の不注意で叱られたりもそれなりにあったけど、割と鍛えられて良かったかなと思う。

 

納期に追われたり、携わる案件が多くあったりして、余裕のなさそうな社員が多かったように感じた。ただ、バリバリ働く時期も大事だと思ってたから、ここで体力面、精神面で成長したかなと思う。

 

3社目 クレジットカード開発 大手子会社 三田

 

2025年の秋にオファーが来て面談をして、ここの会社で10月から働いている。

ここの現場は割とチームメンバーが多く、大きいプロジェクトに携わっていた。

穏やかな人が多く、心に余裕がありそうな社員が多かった。話しやすい社員が多く、相談もしやすくて助かっている。みんな異動するのが嫌みたいで、異動が決定した社員は必死に抵抗してたというのを飲み会で又聞きしていた。飲み会が楽しいので、こういう会社で将来は働きたいと感じた。

 

使う言語はvb.net、SQL、C言語。

業務内容は主に上流工程の内容が多く、外部設計書の修正、再鑑などを行っている。

設計書を見ながら作業をしているので、前の現場の内容が活かせて嬉しかった。

 

あとは、クライアントからの要望で2人チームで本番作業室に入って、SQLのデータを削除したり、パッチの実行などを行なっている。クライアントの要望なので、間違いがないように慎重に取り組んでいる。

本番作業に入るための申請などの流れを掴む必要があり、資料の作成を行ったり、それをチームメンバーに説明を行って教えることも行っている。

 

時々、ここの現場で使うアプリの画面確認で、画面やプログラムの確認(vb.net、SQLなどの確認)を時々行なっている。プログラミングの言語はここでは1番使ってないけど、基本情報試験を取ろうというキッカケができてよかったと思う。(あとはプログラミングの勉強して備えるもできるし)

一時期やることがなくて、みんな暇そうにしていた。なのでプライベートでかなり充実させていた。

1人暮らしを始めたり、起業のコミュニティに数ヶ月いて失敗して辞めたり、俺は世の中を全然知らないなと突然通信大を受けてみたり、、

あとは資格勉強やIT用語辞典でインプットなどできてよかったかなと思う。

 

2月から上流工程で設計書を作ったり、win mergeというアプリで修正前、後で比較したり、設計書の修正など依頼されるようになった。本番作業申請のサポート&実行など色々やってたりでもう時間が過ぎることが多い。

 

最近はリリース案件のために、本番のリハーサルを行ったり、検証を行ったりしている。まとめや報告も任されるようになり、幅広く色々なものに携わっている。5月は20時以降に帰ることも頻繁にあったけど、充実してて労働環境はとてもいい。

6月に案件のリリースで検証を行うタスクが割と増えていて、責任の求められる仕事だけど、システム全体を知れるようになっていい機会だと感じる。

7月からはアプリの画面のためにプログラムの修正をする予定で、そして今もここの現場で案件を携わっている。

 

まとめ

3社は色々な雰囲気があって2年ちょっとで様々な会社を知れてよかったかなと思う。

3年経過した辺りで会社を転職しようと思うから、キャリアを考えるきっかけになったかなと。

 

元々は大学時代は大手でバリバリ働くよりも、のんびりと会社で働いてプライベート優先したいという気持ちが大きかった。給与は多少低くても副業でストレスなく稼げばいいという考えだった。(SESはあまり給与が高くない会社が正直多いかも、、、、)

ただ色々な会社を通して、大手企業、大手子会社が雰囲気的に合うのかなと感じて、今はその辺りの会社に入りたいと思う。1人暮らしを通して福利厚生、給与は大事だなと自分の立ち位置を知って痛感したので、最近の休みの日はスキル勉強&転職の会社の情報を見ていることも多い。

 

そして最近、2年間で働いた時間、給与を計算をしてみた。

8h×20日×24か月→3840h(残業合わせると計算が厄介なので)

給与は2年間を合わせて750万くらい(1年目,2年目)

 

4000h働いていたことになるがネットで調べると、公認会計士、不動産鑑定士に合格する勉強量と出てきた。IT会社員として2年間でそこまでの専門スキルが身につけられたといわれると、、正直つけられていないなと感じた。

ITスキル→Java、SQL、vb.net、Java Script、基本情報(勉強中)といったところだろう。

他にもSVN,win mergeを使用したり、コマンドプロンプト、shellも触ったりもしていた。

社会人を始めた当時は、ITスキルはおろか、PCのこともあまりわかっていなかった。コマンドプロンプトをほとんど触っていなかったり、Excelで指摘を受けることもあった。IT用語辞典で勉強をやった方がいいよといわれるくらいIT用語も知らなかった。

人間関係に縛られずに磨いていくことも考えたし、0からのスタートとしては耐えた方かもしれない。

ただ、4000hを考慮すると、やはりもっとできたのかなと思った。さらに自分を高めていこうと考えるようになった。なんとなく生きていたのかもしれないということを痛感していた。紆余曲折あったけど、一度王道コースで頑張ろうと考えた。

 

王道コースはみんな憧れて目指す道だしライバルも多いからレッドオーシャンだと感じて、大学受験失敗して以降どこか避けていた。

枠にハマる王道ルートが息苦しく感じ、別ルートが1番合うと感じるようになっていて、自分でオリジナルの人生をやってやると感じてた。普通に生きるなんて一番無理だと避けていた。

日本の同調圧力(新卒一括採用)嫌だから海外で住みたいと言って留学して英語の勉強したり、多種類のバイトをやったり、正社員で働くことにモチベが湧かず大学時代を中心に副業を沢山やったり、起業のコミュニティに入ってみたり、、

けど色々行動やったり、色々な会社で案件を携わって感じたのは、やはり王道コース(高学歴→大手企業)なのかなと感じた。(それ+でたまに副業して稼ぐのもいいし)

他の人よりも遠回りはかなりしたなと感じたけど、昔より年齢などに寛容だからこそチャンスだなと。

その道のりは簡単なことではないからこそ、努力する覚悟ができて、今までで1番キャリアへの気持ちが高いので、努力することは辞めずに取り組んでいこうと思う。

 

常に自分をアップデートし続けていこうと思う!!

最近感じていること(人のありがたみ)

最近気づいたことがあるが、人のありがたみにヒシヒシと感じる。

 

人生のブログにも書いていたけど、元々は集団で何かをやることが非常に苦手だった。

大学受験失敗でうつ状態になったり、コロナで同調圧力の苦しさもあった。浪人で人と話さなすぎて対人恐怖にもなっており、いい未来が全く見えずに自暴自棄になっていた。

体が鉛のように動かなくなっていた時期もあり、何か考えると強烈な絶望感と希死念慮が浮かんでいた。記憶力、集中力が明らかに落ちてしまい、対人恐怖になっており、他の人よりもハンデがあるのは明らかだった。貯金が底を尽きており、いよいよやばいという感情が大きかった。

 

世の中に対して違和感や絶望感を当時はすごく感じていた。何が幸せなのかが自分にはわからなかった。「お金を沢山稼ぐこと?」「安定したレールで勝つこと?」「自己実現をすること?」幸せが何か自分にはわからなかった。世の中のレールが幸せなのか、幻想が壊れたような感覚だった。

 

自分は普通のレールで生きるよりも、フリーランスのように個人でサラリーマンよりも稼いだり、副業の方に魅力を感じていた。人間関係の理不尽さも少なく、個人で行動した分、跳ね返るからこそ。

「自分で稼いでやる!」と考えた。

正社員よりも多く稼ぎ続ければ、サラリーマンではなくても大丈夫だなと思った。

このレールは社会が作り出したものだしな、、と考えた。綺麗事を言う人が好きではなかった。世の中の常識に生きてると、いいことはそんなにないのではと悲しいながらも考えた。何か別のルートはないかなとずっと考えていた。

あとは「みんなと一緒に」というのが同調圧力感があって苦手だった。

コロナの閉塞感とか感じており、集団でのやっかみとか足の引っ張り合いとか見てて、正直うんざりだった。

「そんなんだったら1人で動けばいいのにな」と思っていた。努力とかしてる人を外野から石を投げる人が無理だった。人に嫉妬するのに行動してない人を見ると、なんだかなぁと考えてしまっていた。

人間は複雑な生き物だし、集団になると人間は醜くなるのかなと考えていた。集団になると、人にアンテナが張るのは仕方ないと思う。だから、人の揚げ足を取るとかするのかなと思った。

人、集団=醜いという感情が心の中に渦巻いていた。

こういう幻想的な世界に1人で逃げ出したかった。f:id:a4679812:20251202001248j:imagef:id:a4679812:20260421195255j:image
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大学受験を失敗して、自分のことは自分で行動して人生を変えていかないと幸せになれないなと考えた。もし、自分が仮に早稲田とか行ってたら、別の人生だったのかなと当時は考えていた。

 

親戚、高校の同期、親、祖父など周りの人は早慶、一橋、東大が多かった。共通して言えるのは、みんなエリートサラリーマンだ。順当に日本のレールで勝利してきたタイプだ。

父親、祖父も日本の既存のレールで勝利収め続けてきたタイプだった。大手企業で出世してきており、どちらかというと保守的なタイプだった。

親戚も体育会系、社交的でや華やかな人が多く、慶應→外資コンサル、慶應→博報堂などタイプが違っていた。親戚付き合いはほとんどせず、全く会っていなかった。

高校の同期もクラスの半分以上は早慶に行っており、やはり頭の回転が早かった。中学受験組は、親の方針を受けやすいので安定して勝つ方向に育ちやすい。友達を中学高校でたくさん作れたので、環境は合っていたけど、地頭という面では天を見上げている感覚だった。自分はコミュニケーション力や周りを巻き込む力がないから、別の生き物だと感じていた。

そういうタイプが周りに多かったからか、自分はどこか焦っており、プレッシャーも当時は感じていた。

自分のようなタイプが周りにいなかったこともあり、自分で探索したり直感を大事にして生きようと決意した。孤独で苦しくて涙を流したこともあったけど、自分の人生は自分で切り開くワクワク感を楽しもうとした。

若い感性が豊かな時に自己実現を沢山すれば、歳を重ねた時に後悔しないと確信した。

 

そこで、大学時代はサークルに入らなかったり、バイトもタイミーを沢山やったりで、1つのコミュニティにはほとんど入らなかった。

集団が息苦しかったのと、自分で自己実現してる方が幸せだと考えた。大学時代になぜみんなサークルに入りたがっているのかが分からなかった。自分はどこかおかしいのかな、ずれているのかなと時々自分に対して疑問を感じていた時も多かった。

うつのおかげで健康のありがたみを知り、健康な体で動いている瞬間がそもそも奇跡なのではと感じた。健康な体があるうちに自分の感性に沿って生きようと決意した。自分の行動は裏切らないし、熱中してる時が幸せだったから。

あとは、20代の最初の2年は精神壊して何もできなくて悔しかったから。時間の大切さを痛感して、1人でどんどんやりたいことをやろうと決意した。人はいつか死ぬので、有限の時間の中で充実させようと考えた。

うつ状態で精神的に抑圧された状態があったので、過去の自分をぶっ壊すつもりで行動した。あんまり良くないけど、世の中への理不尽さに対する怒りをモチベーションとして動いていた時もあった。世の中の常識を正直信用していなかった。

元々世間の目を気にしていたけど、世間の評価、社会的な地位、、評価の軸や他人軸を全て捨てて「自分は自分だからと」どんどん1人で進めていこうと考えた。

突き抜けるマインドのつもりで人や社会に期待をせず、「自分の人生は自分で切り開く」というのをテーマに、自分の頭で行動していこうと大1年の終わりに決意した。比べるのは人ではなく「過去の自分」にフォーカスを当てて、自分との戦いに目を向けていた。マインドブロックを外して、きれいごと抜きで行動していた。

大学時代は保守的にならずに1人で考えることをやめずに冒険してやりたいことを達成して、心が満たされた。(ある程度はね、、笑)

あとは、自分のやりたいこと、夢をあえて人に話さずに実現をしていった。自分のやりたいことは頭の中にあるので、自分に集中をしたくて、1人で行動をしていった。

そのおかげで自己実現欲求(マズロー)を満たせたので、満たされたのかなと感じた。

あとは、社会のレール、人、世の中にいい意味でも悪い意味でも期待しなくなって、フラットに物事や人を見れるようになったと思う。

当時はコロナ禍で上の世代や政治家がうるさく感じた。「若い人の気持ちなんか理解されてたまるか」という反骨心が強くあった。理不尽なことなんて全部壊したいなと感じていた。

うつ状態の頃がフラッシュバックする時もあり、ひどく落ち込んだり、キャパオーバーになりそうなこともあったけど、人や自分のマイナスの感情に振り回されないようにアンテナを向けるようにした。

 

たくさん失敗したけど自分の心が満たされたおかげで、経験量などで心に少し余裕が生まれて、人に対して優しくなれたと思う。燃焼できたかなと振り返って考えた。(自分を満たさないと人に優しくなれないと思う)

 

社会人になり、SEを選んだ。選んだ理由としては、個人ベースで黙々と考えながらスキルも上がると感じたから選んだ。

いい意味でドライで人間関係の理不尽さも少ないなと感じたので、雰囲気も合っていた。

プライベートのことを話すのが得意ではないからこそ、仕事は仕事、プライベートはプライベートと割り切れる環境がよかった。

常駐して3社で色々な会社で働いていたけど、1つの会社の人間関係に囚われずに一歩引いて仕事ができることが大きな長所だなと感じた。(いつか現場変わるしという安心感があったし、考えが古い人があまりいなかった。)

 

副業でも色々個人で稼げる仕事が沢山あったからこそ、効率よく合理的にお金を稼げるなと感じて合っていた。

行動した分だけリターンがそのまま返ってくるので、個人的に楽に稼げていいなと思った。好きな時に動いて、ノンストレスで稼げることに魅力を感じた。

 

元々、感情に振り回されて疲弊する自分が大嫌いだから個人で切り開こうと決意して、沢山発見もあって成長できた。あとは、世の中の理不尽さに対する反骨心とかもあったし、1人で行動したり経験したりすれば人生は変わるというのを知って発見もできた。なぜなら人疲れとか人で消耗する人が多かったから。

普通の大学生ではできないことも沢山できて、やりたいことを実現できたと思う。

 

しかし、心のどこかで引っ掛かることが正直あった。年齢を重ねることにどこか焦りを感じていた。

「人の理不尽さを削って、そのためにお金を稼いだり、やりたいことも人一倍できたのにあれ、、」ふとそんなことを考えた。

「若い時だからこそ1人で切り開いてやる」という感情が落ち着いてきて、若い時の熱量や尖りが飛んだりして、「このままでいいのかな?」と感じていた。

 

ちょうどその時に、27歳の自分の誕生日を迎えて、沢山の人から祝われた。久しぶりに集団に対して穏やかな感情や落ち着いた感覚を抱いた、、。

その時に気づいたのは、「自分を見ていた人達が沢山いたんだな」と。

危うく泣きそうになったけど、その日から集団もいいなと感じるようになった。

ディズニーでもお祝いされ、こんなに集団で何かを共有するのは幸せなんだなと思った。

元々感情で生きていたけど、強くなるために無意識に頭で動くようになってしまっていたなと振り返っていた。過去の自分を切り離すために自分の心に蓋をしていたのだ。。

「今いる環境は当たり前じゃない。」

元々は狭く深くだったけど、今年になってから人に対して少しずつ開放的になっているなと感じた。

人の大切さに改めて気づかせてくれた友達には感謝でしかなかった。

自分は恩を感じている人には、本当に大切にするし、してくれたことを忘れないようにしている。

こういう人たちを大切にするために、頑張れてるのかなと思う。

 

対人が大事というのを感じて、スキル、スペックよりも人だなとヒシヒシと感じた。

信頼されるための行動や、主体的に人と関わることが大事だなと改めて感じる。盲点な所が沢山あるけど、人間性として成長できるきっかけになっており、学びになっている。

 

自分は昔は人の感情を深読みしたりで相談するのが苦手で、自己完結するタイプだった。事後報告とかもあり、「自分の人生は自分の感性や直感が1番本音でしょ」と考えていた。ボロが出て人が離れるのが怖くて、避けることも少なくなかった。

本当は自分の価値観や世界観を否定されるのが怖かったんだと思う。相手の価値観を押し付けられるのが苦手で、人を避けていた。夢とかもあえて人に話さない方が何かとうまくいっていたと感じている。今は人から逃げずにまっすぐ自分の思いをぶつけられるようになったと思う。

この年齢でも、自分のことをまっすぐ注意したりアドバイスしてくれる人は本当に貴重だと思っている。

 

最近感じた変化として、集団で前よりも疲弊することが少なくなった。

元々、体育会系の環境で結果が全て!という環境は合わないし、ギスギスした雰囲気は合わない。かといって、感情中心(サークル寄り)の環境だとそれはそれで気を遣って疲れてしまい、合う集団はほとんどないとこれまで考えていた。判断軸が好き嫌いになるから、逆に怖いと思ってた。自分には合う空間なんてないんだと感じてた。

あとは、集団でいても孤独感をどこか感じたり、焦りをどこかで感じていた。心のどこかで「自分」と「他人」を切り分けていた時もあった。

親戚や高校の同期などがエリート街道を進んでいて、自分はどこかで焦っていたのかもしれない。

けれど、自分で行動して生まれた心の余裕だけでなく、集団での楽しさやありがたみに気づけるようになった。気づかせてくれた人が周りにいるのは本当に大事だね。

自分の心の扉にノックをし続けてくれた人には感謝でしかなかった。

 

変化としては、

 

うつ状態で感情ベースで振り回されて嫌だった。

フラッシュバックがしんどいし、生きてて地獄。対人恐怖。(2019.2020)

大切にしたい人を大事にして、自分で強くなろうと決意。そのために個人で行動したり、人に振り回されようにアンテナ向けて、1人でお金を稼ごうと感じた。

(2021〜2024.2)

納得できる形で自己実現をして社会人で丸くなって落ち着き、スキルを身につけてお金を稼ぐことを決意。

(2024.2〜2025.6)

集団もいいかも。人があんまり好きでない→好きになっていく。みんなと実現しようという気持ちがわかった。人の大切さを改めて再認識した。

(2025.6〜)

 

こんな感じで変遷を辿った。

 

自分の人生は自分で満たして、突き抜けてやると尖っていたけど、人に対して丸くなっていったなと結構感じて行動しているなと感じます!

 

人との時間が大事だと気づいてから、以前よりも明らかに考え方が変わっているのを感じている。

目先のことにとらわれずに、長期的に物事とかを見れるようになった気がする。

 

自分の行動や物とかに向き合ってきたのが、対人にフォーカスが変わった。集団や人に以前よりも向き合うことで自分が足りてない所が沢山出てきているけど、今気づいてよかったと思う。

これからもみんなとの関係を大事にしていこうと思う!

人生について

人生の価値観の考え方とか過去のこととかを書いてみました。

 

24卒の社会人2年目で、横浜市都筑区出身。大崎に引っ越して1人暮らしをしている。

 

mbtiはISTP(巨匠)と出ているけど、根っこはINFJ(提唱者)らしいw (chat GPTいわく)

的をついて当たっているなと思う笑

 

中高はみんなと遊び、浪人は挫折をして人生について考えさせられ、大学生活は自分の人生を切り拓こうと自分で行動した生活だった。

おかげさまで社会人も悔いなく生きれている。

  1. 中高生活編
  2. 浪人生活編
  3. 大学生活編
  4. 社会人編

 

  • 12から18歳 中高生活「青春」

 

中学受験をして都内の男子校に合格したので、そこで6年間通った。正直言って楽し過ぎた。

のんびりとした環境であり、楽しい生活を毎日送っていた。仲間にも恵まれ、クラスの友達とみんなと遊んだり沢山話したりした。

野球部やサッカー部とも話したり、特にフェンシング部と仲がよかった。

青春を楽しんでおり、今が1番楽しいんじゃないかと考えてしまい、あまり勉強が身に入らなかった。

中学は、3DSやwii、wiiUが主にハマり、マリオ、どうぶつの森、スマブラ、ポケモンなど幅広く遊んだ。ポケモンのプラチナにとてもハマり、400時間以上プレイしていた。

遊び過ぎて、定期テストはクラス最下位を取ることもあった笑

高校では、友達と近くの池袋でカラオケ、ボウリングをしたりした。みんなと修学旅行に行ったのは、本当に忘れられない思い出だったな。

修学旅行で歩く歩道でRYUSEIのランニングマンをみんなで踊ったりしていた。

カラオケで歌いながら世界史を覚えたりした。

高2、高3はクラスのメンバーが一緒で、みんなノリがよくて明るくていい人たちで、クラス内で目立つ人も割といて、笑いの絶えない毎日だった。

学校の行事が全て青春で、体育祭とかも盛り上がった。

この日常が一生終わらなければいいのにと考えていた。将来大変なことが沢山あるから、今が楽しければいいとか考えていた。

 

勉強も割と充実しており、高校生活そのものが充実していた。

 

結果は浪人となってしまったが、自分のクラス(私立文系)は浪人する人がかなり多かったので、浪人することに特に抵抗がなかった。

卒業旅行でクラスのメンバーと8人で新潟の越後湯沢のスキーに行って、スマブラとかを夜中までずっとプレイした。冬に流行った曲を歌ったり、みんなと滑って楽しんだ。

 

  • 19〜21歳 浪人「人生最大の挫折」

流石に高校は楽し過ぎたので、浪人で勉強に集中しようと思った。高校までは割と人と話してたけど、浪人を機に人とあまり関わらなくなった。

当時は受かることが目標だったので、入った後のことをあまり考えられていなかった。(これが今後で大きく仇となる)

しかし、現役で入った友達の話で大学の愚痴が多かったので、次第に勉強のモチベが下がるようになり、思った大学生活と違うのではと考えるようになっていくのを感じていた。

国語が非常に苦手であり、勉強しても偏差値が上がらないので、勉強がだんだん嫌になり集中できなくなった。体にも異変が出始めて、特に目が疲れて集中できなくなった。

人と話すことがなかったので、頭をあまり使うことがなくなった。(人と話すと頭が働くらしい)

受験のプレッシャーもあって、1浪して全落ちしてしまった。

精神的にショックを受けて、そこから誰とも会わなくなった。親が逆に優しくしてきたのが、余計苦しかった。

 

2浪目に突入して、国立目指そうかなと思って数学など勉強し始めた。数学を勉強したり、友達のプログラミングや大学生活の話を聞いたりして、本当の適性は理系にあるのではと考えるように。

将来のことを考えて理系に進路を変更したけど、今まで勉強した文系科目はなんだったんだろう、、と考えるようになり、うつ状態になった。高校の時に将来をもっと考えればよかったなと激しく後悔した。

就職とかそもそもできるのだろうかと考えたり、ネットで調べていくうちにどんどん鬱の症状が悪化してしまった。大学生でもなく、かといってフリーターのように働いている(バイトなど)わけでもない。バイトすらできないのではという精神状態だった。

体が重くなり、頭にモヤがかかるような状態が増えていった。

成人式に顔を出したけど、どんどん先に進んでいる友達と、何もできていない自分がどうしても嫌で人と比べてしまった。差が開いていたんだなと現実を突きつけられた。

大学受験と聞くだけで動悸が止まらず、プレッシャーも強く感じるようになった。

 

2020年入試で鬱状態で文字が全然読めなかったけど、なんとか理系単科大に合格した。けど現役の頃から理系を選択したらどうなってたんだろうと考えて、精神壊れたままだった。時間の大切さを痛いほど感じた。

 

ただ浪人で得たことがあり、それは勉強よりも人のありがたみに気づけたことだった。

辛い時にそばにいてくれたおかげで、精神的に本当に助けられた。彼らのためにも還元して行きたいと思った。

失敗をしたおかげで、前よりも人に対する器が大きくなったと思う。

 

  • 大学生活編「今が1番若いから後悔せず生きる」

 

大学生活は最初は苦しかった。

ちょうどコロナが重なっており、自分は何のために生きているんだろうと毎日考えた。

このまま就職して、死ぬのだろうか。コロナ禍で日本おかしくなっているぞ、、など日本に対しても同調圧力など窮屈さをどこかで感じていた。日本社会に疑問を抱き、世の中が嫌いになっていた。矛盾だらけの世の中について考えていた。

自分の悪い未来を考えてしまい、30歳で死にたいと思った。

対人関係でも明らかに人が苦手になっていた。浪人の後遺症が残っており、コンビニで店員と話す時に緊張してしまうくらい苦手になっていた。

浪人で人と話さない生活が当たり前に続いていたので、人との話し方を完全に忘れてしまっていた。対人恐怖症のような状態になっており、このままいくとニートになるのではという恐怖が大きかった。

世の中について色々考え、その度に絶望していた。

貯金額がほとんどなくバイトしなきゃと思ってバイトを申し込んだが、動悸がすごくなってしまい、1年生はほとんど動けなかった。鬱で体力が明らかに落ちたり、バイト先でうまくいくのだろうかと不安感が強くなったり、周りの目を気にして結局動けない自分がとにかく嫌だった。「自分は何ができるんだ」と自分を責めてばかりいた。

 

変化が起きたのは11月だった。インターネットで散歩はうつにいいことを知り、7000歩を毎日歩いた。次第に体が軽くなるのを感じて、前よりマシになっていった。岩盤浴や、バッティングセンター、太陽の光を浴びるなど良さそうなものを取り入れた。

辛い時にそばにいてくれる人たちもいて、zoomで話したり対面で会ったりして、精神的に支えられていた。死にたいという感情が前より薄れていった。

 

そして、1年生の1月で転機が訪れた。Twitterを見てた所、「昔は鬱だったけど若い時に後悔なく行動したら人生変わった。明日死ぬつもりで生きろ」というツイートを見た。ハッとさせられた。周りや人の目を気に過ぎていたのだ。鬱で無気力だった自分にとっては、スカッとするような感覚だった。

もうダサい生き方はしたくない。

比べるのは「人」じゃない、「過去の自分」だ。「過去の自分」を手放す覚悟が足りていなかったのだ。

人と健康のありがたみにも気づき、元気な時に動いて死ぬ時に「〇〇やっとけばよかった」と後悔しなければそれでいいなと考えるようになった。

正直やらない後悔ほど苦しいものはなかった。 失敗してもいいから行動しようと考えた。どんなものでも経験になるわけだから。

どん底の時にそばにいてくれた人を大切にしながら、楽しいこと、時には大変なことでも行動して、自分で強くなっていこうと考えた。

そこから、「自分自身」とか「未来」は自分で変えられると思いながら、興味あるものや合ってそうだなと感じる物を1つ1つ行動をし始めた。あえて計画を立てずに、自然の成り行きに任せて生きてみようと感じた。自分探しをするために。

 

浪人の時の鬱状態も治っていき、バイトを始めた。

ただ集団が苦手になっていたので、隙間時間でできるバイト「タイミー」をインストールして、倉庫から始めた。お金稼げる喜びを感じた。

日本での窮屈さは感じていたので、タイミーのような生活が合っていた。色々経験を積みたいなと思って、集団でのコミュニティはあえてどこにも入らなかった。(集団が苦手になったのもあるけど)

1度きりの人生だし、死ぬまでにやりたいことを全部自分でやろうと決意して、行動しようと思った。自分で突き抜けてやろうくらいの気持ちでいた。

そこからタイミーでは、大学生活中は倉庫、ブックオフ、ライン作業、寿司、はなまるうどん、吉野家、接客販売、チームラボなどで働いた。

沢山バイトして向いている仕事、向いていない仕事が分かってきて、面白かった。

<タイミ―でやった仕事>

倉庫、ライン作業→人と話さない仕事で、単純作業が多い。肉体労働。体力ゲー。

ブックオフ→ホワイトな環境が多い。本が好きな人や単純作業が好きな人に合いそう。

寿司、はなまるうどん、吉野家→洗い場は体力ゲー、ホールは人が好きな人に合う。

チームラボ→外国人に説明や誘導したり、トランシーバーで指示をしたりした。割と楽しかったけど、体力が必要。

接客販売→軽い料理をしたり、お客様に商品の説明をしたりする。

データ入力→ひたすらデータを打ち込む。単純作業の繰り返しで割と疲れるかも笑

スーパー→品出しをしたり、お客様に商品がどこにあるかを答えたりする。割とホワイトかも。

 

留学や起業スクール、副業も学生時代に挑戦した。

留学は日本で窮屈さを感じていたのと、起業スクールや副業は社会人で人に縛られてストレスを感じる生活は嫌だなと思ったので、自分で動きたいなと思った。

 

留学に関しては、正直20歳からずっとしたかった。

というか20歳当時は鬱で日本社会そのものに対して絶望していたから、海外なら居場所とか心の豊かさがあるのではと考えるようになった。

海外は年収も高いし、感性が若い人が多い。ブラック企業も少ないし、ライフワークバランスを大事にしてるのかなと思っていたのだ。日本=脳死で働く歯車は嫌だなと感じてたので、、

海外で働くために必要なスキルとか英語とか調べてたな。

コロナ禍もあって延期してしまったけど、なんとか大学2年の時に行けてよかった。

留学は、とにかく青春だった。

オーストラリアのゴールドコーストで生活したけど、サーフィン🏄や、ホームステイできて全てが幸せだった。海入ったり、シドニーやブリスベンにも行ったり、一緒に行った大学の友達と海外の方がみんな優しくて忘れられない留学生活だった。
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英語は難しかったけど、海外で留学に挑戦できて本当に良かったなと思う。

コロナ禍とかもあり、人と交流をしなかったけど、仲間たちとBBQしたり、海で遊んだりして本当に青春でしかなった。1か月が夢のようであっという間だった。

穏やかでのんびりとしていた人が多く、すごく幸せだった。開放的に過ごせたし、心が豊かになる本当に貴重な経験だった。

 

副業や起業スクールに挑戦したのは、人間関係(集団)や時間に縛られずに、お金を稼ぎたいと考えたからだ。

正直な所、正社員の生活にあまり憧れを感じなかった。就活や日本社会に疑問を抱いており、個人で稼ぎたいという感情がかなり大きかった。

「お金」×「時間」×「いい人間関係」がないと、幸せから遠ざかってしまうなと感じた。時間とお金があってこそ、「自己実現欲求」までやっとたどり着くのではないかと大学生の時に考えた。(マズローの欲求)

だからこそ、フリーランスとか副業への羨望が人一倍強かった。

社会人や大学の友達で、人間関係に悩まされている人が多かった。人間関係に振り回されず、個人でお金を稼げればノンストレスと確信していたのも当時は大きい。

 

起業スクールでイベント企画をしたりしたけど、周りのレベルが高く、ついていくのに必死だった。周りの人は頭がキレており、自分自身がフィーリングでやってしまっていることが露呈された。

経営知識を学ぶことができたり、人を集客したりなど色々と学べたかなと思う。

論理的で人を巻き込む力がないと厳しいことに気づき、挫折をした。挫折をして向いていないとわかったけど、最後までやれて良かったなと思った。

一応、社会人でもとある起業コミュニティに3ヶ月間だけいたけど色々あって辞めて、起業への未練が完全になくなった。

 

副業は1人でも出来そうな物があって、適性あるのかなと思って始めてみた。案外、稼げるものってあるんだなと感じて色々できそうなことを取り組んだ。

SNS、モニター、クラウドワークス、座談会、アフィリエイトなど探すと色々あった。思ったより適性があり、これなら1人でも全然できるじゃんと新しい発見ができてよかった。自分で納得できる形で実績が残せた。

大学生のうちにお金をできるときに稼いで、時間があるときに趣味(旅行)とか自己投資とか仲間との思い出など色々なものに費やそうと考えてたので、よかったかなと。大学4年の後半でスランプになり、お金を多く使ってしまったけど、遊べるときに遊べてよかったのかなと考えている。

社会人も少しだけ続けられて、今も副収入としてかなり助かっている。

 

その他は旅行✈️、美味しいご飯🍚、ディズニーなど色々趣味が見つかり、趣味の面でも自分で行動できてよかったなと思う。遊ぶのもそうだけど、新しい発見ができて、視野が広がったなと思う。

 

留学以外あまり人と関わりを持たなかったけど、色々挑戦したり、プライベートも充実して悔いなく過ごせたかなと思う。

過去のどん底の時と比べて、色々成長しているなと感じて、どんどん前向きになっていった。大学2年生の時に作成した「死ぬまでにやりたいこと」をどんどん叶えられたかなと思う。

「自分は○○したい」という夢を頭の中やイメージで終わらずに、実際に自分の目で見て(叶えて)、そこから気付く過程が面白かった。

新しい発見を沢山できて、人生面白いなとシンプルに思った。

あとは、いい意味で結果とかに執着しなくなった。もちろん結果はあった方がいいと思うけど、過程の方が個人的に得るものが多かった。

執着しなくなったおかげで悔いなく生きれたかなと思う。

1人の時間を確保して人生とか色々考えて、そこから行動につなげていたので、それがよかったと思う。自分が1人で考えていること、感じていることが本心だと考えているからこそ。「人」「環境」を変えるよりも「自分」が変わる方がよっぽど人生が好転したなと感じる。

「まあ人生成り行きでいいよね」といい意味で楽観的に考えるようになった笑

気づいたら鬱も治っていて、大学でやり残したことが本当に思いつかなかった。

 

 

  • 社会人編 「成長」

社会人はITエンジニアをやっている。

副業やタイミ―、事業、フリーランスなど、、正社員で働くことへのモチベーションが大学生の頃はなかったけど、収益が不安定だったことと個人で稼ぐことに対して限界を感じたので就職した。

 

大学時代にPythonのプログラミングのコンペに参加したこともあり、適性と性格面で合ってるなと考えて、初めからIT業界以外見ていなかった。

1人で黙々と考えたり集中するのが自分には合ってるなと今でも本当に思う。

IT業界は落ち着いてる人が多くて、業界の雰囲気とマッチしているなと改めて感じている。

 

学生時代は、社会人で組織に縛られるのに不安を感じたけど、今は意外となんとかなっている。

学生時代は収入はタイミーなどやってて毎月稼ぐ額は不安定だったけど、社会人は毎月決まった額が振り込まれるから安心感がすごい。

 

大学生ほどではないけど、副業もやっている(会場調査やモニターだけ)。

 

そしてあっという間に社会人3年目に。。時間の経過があっという間過ぎて驚いている。

JavaやSQL、Java Script、たまにHTMLなどを使っていた。今はvb.netとSQLを主に使用している。

業務内容はプログラミングコードの修正をして、テスト仕様書を作成して実施する流れである。だいぶ開発スキルが身について、自分に自信がつくようになった。

最初はわからないことだらけで、全然案件を取り組められなかったけど、だいぶプログラミング言語が分かるようになった。

設計書の修正など上流工程での内容をやったりもしており、2年目の途中からは大体上流よりの内容を取り組んでいる。

就職したら終わりではないなと感じて、むしろスタートラインだなと痛感した。

 

3社で常駐を行ったが、色々経験をできてよかったし、業務内容だけでなく会社の傾向やカラーも全然違うことを感じた。常駐をしたおかげで、一歩引いた状態で色々な会社を見れて経験出来てよかったなと感じる。

転職の軸が定まったり、少しずつ業務内容が見えてきたので、転職もそろそろ考えている。

 

年齢も20後半になって、焦りも感じつつあるけど、後悔しないように生きていけば大丈夫だなと思う。人生は行動して経験した積み重ねだと思うので。

人生を変えるのは、未来への夢と自分自身の行動。だからこそ死ぬときに後悔しないように死から逆算をしていきたい。

 

これからも悔いなく生きていけたらなと思います!

 

 

 

 

 

 

海外行っての感想

HSS型HSPの方は、海外に興味を持っている方は割といるのではないでしょうか。。

 

僕もその1人で、実際問題、日本で窮屈さ、やり直しが効きにくい国だなと感じた。同調圧力、決められた期限を守らないとダメなど何かと変な決まりが多いとずっと違和感を抱いていた。

 

そこで、なんとなく海外に興味を抱いていた自分は、オーストラリアのゴールドコーストに1か月間行ってみた。着いた瞬間、街の人の温かさを感じ取り、ゴールドコーストも人柄が温かく、自分らしくのびのびと過ごせた。

正直なところ国によると思うが、自分の場合は非常に当たりでとてもいい経験ができた。

 

なので、もし海外に興味ある方は、一度行ってみると変わるかもしれません。